知らなくていいことが、多すぎる|目の前を広げるために、年に一度、遠くへ行く
SNSを開けば、誰かの仕事や生活や意見が、頼んでもいないのに目に入ってきます。誰が何を買ったか、誰が誰に怒っているか、知ろうと思えば、いくらでも知ることができる時代です。
ただ、ふと思うことがあります。自分は本当に、こんなにたくさんのことを知らなければいけないのか。
自分にとって大切なことは、ほとんど目の前にあります。いま一緒にいる人のこと。今日やる仕事のこと。家族のこと。自分が何を感じているか。誰かの意見まで全部追いかけなくても、たぶん困らない。
断っておくと、ニュースは別です。海外で実際に何が起きているかからは、目を背けてはいけないと思っています。知らなくていいと言っているのは、世界で起きている事実のほうではなく、それについて誰かが何を言ったか、のほうです。
一方で、知らない世界に行ってみたい気持ちは消えません。知らない街に行きたい。知らない人に会いたい。読んだことのない本を読みたい。目の前のことだけでいいと思っているのに、なぜ新しい世界を求めるのか。ここが自分の中で長く矛盾していました。
最近、少し整理がつきました。自分は、たくさんのことを「知りたい」わけではない。自分の目の前を、広げたいのだと思います。
旅に出れば、遠くにあった場所が目の前になる。人と出会えば、それまで知らなかった人生が自分の世界に入ってくる。本を読めば、行ったことのない場所や時代が、突然、目の前に現れる。知らないことを減らしたいのではなく、自分が見える世界を増やしたい。そう考えると、二つの感覚は矛盾していません。世界全部を知る必要はない。ただ、自分の目の前に現れる世界は、できるだけ広くしておきたい。
これは仕事の話でもあります。企画は、いま自分の中にあるもので考えます。目の前のことだけをやっていると、目の前がどんどん狭くなって、出てくる企画も狭くなる。クライアントがまだ気づいていない価値を一緒に見つけに行く、という自分たちの仕事は、こちらの目の前が広くないと成立しません。
だから自分たちの会社では、年に一度、海外へ行くことにしています。研修という名前をつけていますが、何かを学びに行くというより、全然違う価値観や、自分の知らない世界を一度目の前に置きに行く、という時間です。
採らなかった選択肢は、情報を増やすことです。業界の動向を毎日追って、SNSで事例を集めて、知っていることの量を増やす。それで企画が広がった実感が、自分にはありません。知識は目の前を広げてくれない。目の前を広げるのは、行くこと、会うこと、読むことのほうでした。本については少し補足があって、映像は答えを見せてくれますが、文章は自分で想像するしかない。その分、目の前が広がる感覚があります。
明日ひとつだけ試すなら、スマートフォンで何かを知ろうとする回数を一回減らして、その分、行ったことのない店に入ってみる。知識は増えないけれど、目の前は一つ広がります。
知らなくていいことは、多すぎます。自分たちが増やしたいのは、知っていることの量ではなく、目の前に現れる世界の広さのほうです。