リストランテ山﨑 ブランドムービー制作
南青山のリストランテ山﨑様の映像制作を担当させていただきました。1分46秒。1986年の創業から40年という節目に、関わってこられた方々が集まる場で上映することを前提に組み立てた一本です。
会場で流す映像は、観てもらうためではなく、同じ記憶を共有してもらうために作る
制作で最初に決めるのは演出案ではなく、終わったあとにどんな気持ちで席を立ってほしいかというゴールです。今回それを、この店に関わってきた全員が、自分もこの40年の一部だったと確認できる状態に置きました。
客席にいるのは、歴代の厨房を担ってきた方、長く通ってこられたお客様、いま店に立つスタッフです。それぞれ持っている記憶の時期が違う。だから特定の時代を厚く描くのではなく、どの年代の人が観ても自分の記憶が呼び起こされる余白を残す構成にしました。
映像が主役になってはいけない、というのは私たちが制作でいつも置いている前提です。この日の主役は画面ではなく、集まった人たちと、そのあとに出てくる料理です。映像は、その場に流れる空気を整えるための語り部にとどめています。
40年を、料理紹介ではなく継承の物語として組む
リストランテ山﨑は、イタリア料理といえばピッツァとスパゲッティくらいしか知られていなかった時代に、イタリアにある洗練されたリストランテを作りたいというオーナー山﨑氏の思いから1986年春に生まれた店です。以来、寺島豊氏、日髙良実氏、濵﨑龍一氏をはじめとする名シェフを輩出し、2023年からは七代目として野澤悟氏が厨房に立っています。
この歴史を前にしたとき、看板料理を並べる構成では明らかに足りませんでした。40年続いたという事実よりも、シェフが七人代わってなお店が店であり続けた理由のほうがはるかに強い。だから企画の出発点を「何を出す店か」ではなく「何を渡してきた店か」に置きました。
会場で上映することを考えると、この選択はさらに効きます。歴代シェフの名前を並べて称える構成にすると、その場にいる人が観客と主役に分かれてしまう。継承という主語のない物語にしておけば、誰もが自分をその線の上に置くことができます。
受け継がれてきたのは、レシピではない
見えてきたのは、代々渡されてきたのが形あるレシピではなく、料理に向かう哲学と美学だったということでした。映像の中盤に置いた一行は、その気づきをそのまま言葉にしています。
スペシャリテの冷たいキャビアのスパッゲティは、説明のカットとしてではなく静けさの頂点として置きました。技術で継承できるものと、姿勢でしか継承できないもの。その差を、皿の見せ方の温度差で表現しています。
撮影|動の厨房と、静の皿
厨房のパートは、複数のカットを重ねる多重露光的な処理にしました。毎日繰り返されてきた時間そのものを一枚の絵に圧縮したかったからです。対して料理のカットは動きを絞り、ガラスの器やソースの落ち方まで静かに見せています。
この動と静のコントラストが、そのまま「変わり続けることと、変わらないこと」の対比になります。2008年に地下から2階へ移り、2023年に新しいシェフを迎え、旬を味わうその瞬間を掲げるクチーナ・モメントという表現に辿り着いた歩みを、説明ではなく構成の呼吸で語らせました。
ナレーションを置かない|会場の音を消さないために
声で説明せず、短いテロップと音楽だけで進行させています。読ませる速度をこちらで管理できる分、観る人それぞれのペースで受け取ってもらえるからです。
会場上映という条件も、この判断を後押ししました。ナレーションを入れると、観客は聞く姿勢に固定されます。文字と音楽だけにしておけば、隣の人と目を合わせたり、小さく息をついたりする余地が残る。その日の会場に流れていた音を消してしまわないことのほうが、情報を届けることより大事だと考えました。
ラストの数秒を空白にした理由
締めはロゴだけを白場に置いて終わります。40年分の情報量を覚えて帰ってもらう必要はなく、この店に来てよかった、また来たいという一点だけが残ればいい。そこから逆算して、最後の数秒をあえて空白にしました。
私たちが成果物と考えているのは、上映の瞬間ではなく余韻です。映像が終わってサービスが始まり、最初の一皿が置かれるまでの数十秒。そこで会場の温度がどうなっているかが本当のゴールでした。飲食店の周年の場では、映像より料理のほうが確実に強い。ならば映像は、その一皿がいちばんおいしく感じられる状態を用意する役でいるべきだと思っています。